セネガル日記_日差しで火傷を負いました

 タイトルから分かるように、私はセジュウで活動している間に日焼けしました。普段ダカールでは屋内で活動している事が多く、帽子と長袖を身につける程度で日焼け止めを塗らずに生活おり、その癖をセジュウでもしてしまいました。元々セネガルは日本よりも赤道に近いため、太陽光が当たる角度が0度に近く日差しが強いのですが、今回はセネガルの南側の特に赤道に近づいた場所で日焼けの対策をせずに活動してしまいました。しかも、セジュウでは日中屋外で活動している時間が長かったため、今まで体験した事がなかったのですが、特に強く日差しが当たった顔の左半分が広範囲で水膨れになりました。初めのうちはあまり気にしていませんでしたが、セジュウから帰って来た後も、痛みがおさまらず、傷口が治らないため「患部が細菌感染したのではないか、一生この傷跡が残るのではないか」と怖くなり、医療機関セネガルで初めて受診しました。

 医療機関では、患部は細菌感染していないこと、患部にできた瘡蓋が取れる頃には皮膚が良くなっているから瘡蓋をできるだけ保湿して自分で剥がさないことなどを説明していただき、とても安心しました。ただ、今回の日焼け(火傷?)でダカールに帰宅後一日寝込みましたし、患部がよくなる1週間ほど日中の外出ができなくなりました。そこで、改めて日焼け予防の大切さを実感しました。私の出来事を反面教師にしていただくといいのですが、セネガルは日本よりも赤道に近いため太陽光度が小さく、日差しが強くなります。そのため、日本以上に日焼けに気をつけてください。日焼けで火傷のようになるなんて日本ではまずありえない事でしたが、ここでは起こり得ます!! セネガルに行かれる際は気をつけてください!

セネガルは日本よりも日差しが強くなります

こらは日焼けではなく、火傷です:(

 

セネガル日記_SEDHIOU_4日目(後半)、5日目_1107_1108

<4日目(後半)> 

 この辺りはタクシーがあまり走っていないので、友達からここにいる間はバイクをレンタルした方がいいとお勧めされて、2日間で1万5千cfaでバイクをレンタルしました。そして私は運転できないので、この長時間の移動を全て友達がしてくれました。バイクは同じ体勢を維持する必要があるので、乗るだけでかなり体力がいるのですが(私はそう感じました)、運転してくれた友達はさらに過酷で、砂や直射日光に当てられながら2日間運転してくれました。本当に感謝しかありません!

 16時頃にコルダ州でお昼ご飯を食べて、家族のもとを出発しました。行きがけみたいに2時間半以上かけてバイクと船を使うルートで帰るのかと思い、長時間の旅を想像して覚悟を決めていましたが、帰りはわずか1時間半ほどで到着しました。別のルートで帰ったみたいで、セジュウ州に到着したときには、本当に友達の家か疑いました笑 私たちはクタクタだったので、家の日陰で友達の弟が作ったアタヤ(お茶)を飲んだり、お母さんがくれたふかし芋を食べたりして、くつろぎました。そして日が暮れる前にシャワーを浴び、夜にHaajaという甘いお粥のような夕飯を食べて寝ました。沢山食べて胃が疲れていた私には、とても優しい料理でした。

 友達の家では家事を手伝わせてもらったり、カザマンス州の料理を教えてもらったり、現地語を教えてもらったりと、とても多くのことを体験させてくれました。この家でもそうだったのですが、セネガルでおもてなしを受けると、セネガル人は「ここはテランガ(日本語のおもてなしの意味)の国だから」といつも言います。しかし、その一言では言い表せないほどセネガル人はお客さんを大切にしてくれます。ここでは、自分の家じゃないのに一度も寂しい思いをしたことがありません。言語も文化も違うのに凄いことですよね。。。あと余談ですが、セネガルでは男性より女性の方が多いため、いつもホームスティに行くと子供も大人も含めて女性ばかり目にするのですが、何故か友達の家は男性ばかりで常に男性の輪の中にいました笑 色々な場所でホームスティをして初めての経験でした!

家事を教えてくれたお姉さん

アタヤ(お茶)をいつも作ってくれる友達の弟

家からの最終日の夕日

夜ご飯。甘いお粥みたいなもので、とても胃に優しかった。

夕食の様子

<5日目>

 ダカール行きのDemDikkが7時に出発するので、友達の家を6時に出発してバイクでセジュウに向かいました。20分ほどの道のりを早朝なので高めの3千cfaで行きました。空は満天の星で、透き通っていました。星を楽しみたいと思いつつ、寒すぎて必死に耐えていました(セネガルは朝と夜の寒暖差が激しいです)。無事にバスターミナルに到着して、バスに乗り、ダカールに帰りました。詳細はセジュウ州の1日目をご覧ください(セネガル日記_SEDHIOU_1日目、ホームステイ先へ - Eno_Senegal_Diaryの日記)。

朝のバス停

 

セネガル日記_KOLDA_4日目(前半)_1107

セネガルは命の誕生を目にすることが多い>

 朝は7時半頃に起きて、チョコレートソースを挟んだフランスパンとカフェオレを頂いて庭でゆっくりしました。セネガルでは家畜を家に飼っている家庭が多いのですが、ここでも山羊、羊、鶏が自由に庭を歩いていました。自由に生活している動物たちは表情がとてもあり、思わず見惚れてしまいます笑 その日の朝は昨日の夕方に生まれた双子の子山羊がとても活発で子供達に抱っこされて可愛がられたり、子供達の遊び相手になっていました。そして、その様子を少し近くから心配そうに眺めて、たまに鳴いて人間の子供達に何かを伝えようとするお母さん山羊に共感しながら、面白く様子を観察していました。私が子山羊を抱っこさせてもらった時も、あまりにも子山羊が鳴くものですから、お母さん山羊が駆けつけてきました。お母さん、心配をかけてごめんなさい笑 セネガルではここが初めてではなく、生まれたばかりの赤ちゃんを見る機会が多いです。日本では一人っ子で親戚も少ない私には、このとても神聖な光景を見慣れていなかったので、いつもいつも感動してしまいます。日本も昔は家で動物を飼っていて、沢山の子供が生まれていたと思います。自分がここと同じ生活を日本でできるかと聞かれると難しいですが、日本も昔はよかったという人の気持ちが少し分かった気がします。

昨日生まれたばかりの子山羊

子山羊のお母さん

我が物顔で庭を歩く羊たち

朝食後に庭でとれたバナナを頂きました。

 

<Moussa Moloの木>

 コルダといえば、「Moussa Moloの大木」というコルダの中心にある巨大な木が有名です(Moussa Molo Baldé, Roi du Fouladou: Allié de la France, il va réussir à conquérir et à conserver le pouvoir au détriment de son frère et de son oncle | GMT Pile à l'heure)。この木はフィルドゥ王国(コルダの周辺の地域)の創設者の息子のMoussa Moloの名前がつけられています。彼は王位継承者争いの際にこの木の周りを3周したと言われており、とてもコルダの歴史の大切な一部です。今ではこの木の周りは道ができ、街のロンポワンになっていますが、ここの住民はこの木をとても大切なものとして扱っています。そしてまたこの木は、子供ができない女性が木の周りを3周すると子供ができると言われているそうです。ちなみに、この木から真っ直ぐ道路を進んだ先にあるコルダの軍事機関にもMoussa Moloという名前が、そしてKoldaの高校にはMoussa Moloのお父さんのAlpha Moloの名前がつけられています。

Moussa Moloの大木

 

<お昼ご飯>

 Moussa Moloの大木を見た後は、友達の同級生の家にお邪魔させてもらい「セボン」という料理を食べました。ふっくらとした魚、酸味のある玉ねぎの炒めソース、ビサップ葉のソース、この組み合わせが最高に美味しかったです!今まで食べたセネガル料理の中で3本の指に入ることは間違いありません。見た目も味も絶品でした。この同級生の家は庭の真ん中に木があり庭は木陰が多く涼しいですし、外壁の内側に黒板を設置するなどとても勉強がしやすい環境だと感じました。そして、休憩させてもらったベッドはキングベッドサイズでとても寝心地が良かったです。これはセネガルあるあるなのかもしれませんが、みなさんクイーンベッドかキングベッドを使われます。そして、その上で1人で寝る家庭もあれば2,3人で寝る家庭もあります。ですので、セネガル人の家に宿泊にきた際はベッドを貸してくれることが多いので、とても広々としたベッドで休むことができるのです!ありがたいことに、本当に快適です。

絶品だったセボン

 

<コルダの家族のもとを出発する>

 友達の同級生のもとを帰った後に、宿泊していた家でお昼ご飯を用意してくれていたのでお腹がいっぱいでしたがお付き合いで食べました。もうお腹に入らないと思っていましたが、美味しかったので自分でも驚きましたがある程度食べることができました。この場所ではフランス語が通じないことが多かったので、お母さんや子供達ににカタコトのマンデン語やジェスチャーを行いコミュニケーションを図っていましたが、どの人もとても好意的に私を迎えてくれました。セネガルは友好的な人が多くて、本当に素敵な国です。 

お昼ご飯、2度目

お世話になったご家族

 

セネガル日記_KOLDA_3日目(後半)_1106

 友達のお兄さんが畜産業をしていたセジュウ州のKafoulou村から車で1時間、Kolda(コルダ)州の首都コルダにやってきました!コルダはセジュウよりも発展しており、友達は高校時代をコルダの高校に進学してここで過ごしたそうです。今回滞在することになった家は友達の高校時代の家庭教師の先生の家で、久しぶりに友達がコルダに戻ってきたとあり、そこのご家族は大喜びをしていました。何より子供達が大はしゃぎしていました。

 そこのご自宅に着いたのが17時くらいで、家族に自己紹介してしばらくして身体を洗わせてもらうことにしました。セネガルでは昼と夜の寒暖差が大きいので、お湯が使えない家庭の場合はいつも日が落ちる前に身体を洗わせてもらっているのです。こちらでも井戸から水を汲んで、洗い場まで運び、身体を洗うという感じでした。セネガルの南のエリアでは井戸を使っている家庭が多いと感じました。お風呂場はプライバシーは守られていますし、井戸水は綺麗でしたし、何も困りませんでした。

 お風呂の後は夕飯作りを見学しました。その日のメニューは羊のモツをパーム油とオニオンソースとセネガル版顆粒出汁のような(MAGGI)を使ったソースとご飯でした。モツは癖がありましたが、パーム油の独特な風味とピリ辛の唐辛子との相性がとてもよく、食べているうちに癖になりパクパク食べました。そして、カザマンス地方の人は夜にご飯にお米を食べることが多いので、お米好きの私には合っている土地だと改めて感じました(セネガルでは夜にはパン、ソース、クスクスなどを食べる家庭が多いです)。夜ご飯の後は、ご家族がお腹いっぱいになるようにと穀物とヨーグルトを混ぜた「フォンデ」という料理を出してくれました(フォンデについてはこの記事終盤に書いていますセネガル日記_Dakar_ホームスティ_1027 - Eno_Senegal_Diaryの日記)。フォンデを夜ご飯ではなくデザートとして出してくれたことにとても驚きましたし、その後にスイカも10分の一切れほど頂きお腹がはち切れました笑 どれも美味しいのでついつい頑張って食べてしまうのです!

 食後はセネガル相撲の番組を見たり、友達の同級生と合流して、夜のコルダの観光に連れて行ってもらいました。コルダの市役所前の広場(毎年クリスマスに花火が打ち上げられます)、通っていた高校、高校時代によく通っていたアイスクリーム屋さんなどです。夜のコルダは賑やかで、友達の過去を沢山しれて楽しかったです。

夜ご飯。羊のモツとパーム油ベースのソース。

デザートのフォンデ。

さらにデザートのスイカ。お腹がはち切れました笑

友達のとても美人な友達。市役所前の広場にて。

昔通っていた高校らしい。

コルダの高校生御用達のレストラン。

寝室はこんな感じで、とても快適でした。

 

セネガル日記_SEDHIOU_3日目(前半)_1106

Dac de Sefa>

 Dac de Sefa(DAC DE SEFA – PRODAC)は首都に流れる人口は減らすために地方住民の雇用を生み出すことを理念に、地方で大規模な農業を展開しているセネガルの国主体の施設です。首都のダカール州を除く様々な州に農業や酪農の形で存在しています。今回は友達のお兄さんがその施設に就職していてるので、見学できないか管理者の方と交渉してくれ、英語が話すことができる職員の方に施設を説明して頂きました。農業の重機、ここで収穫する野菜はダカール州までは行かずにセネガルの南の地方のみで販売されること、そして野菜の栽培の仕方の説明など沢山教えてもらいました。田舎の中に最新の農業施設があって、そこで男女分け隔てなくその地域の人に雇用を生み出しているのが凄いなと思いました。

野菜の選別の様子

ハウス栽培の説明をして頂きました。

このハウスでは様々な植物の苗を育てています。

隣のハウスです。写真手前の看板に植物の名前、植えた時期を記載しています。
ここでは植物学者の方が在住して農業のアドバイスをしています。

<カザマンス川を越えて>

 今日はKolda(コルダ)州に泊まるため、セジュウにある「悪魔の島」へ行った時の港に行って、そこから対岸の川を渡りSandinier村に行きました。運賃は決まってなく、その船にのった人の人数で割るそうです。その日は1人600cfaで渡ることができました。船に乗っている人は全て現地で生活する人達でかなり注目を浴びて居心地が悪かったです。悪気はないんでしょうが「白人!白人!」と揶揄うような口調で言われると嫌な気持ちになります。友達が無視した方がいいよと守ってくれましたが。

 

<Kafoulou村で搾乳体験>

 セジュウから船で20分、そこから車で40分のところにあるKafoulou村に行きました。友達の1番上のお兄さんがこの村で約500頭の牛の畜産をしていて、そのお兄さんに挨拶をするのと搾乳体験をさせてあげたいということで、この村に連れて行ってくれました。この場所に行くまでは本当に冒険のようで、田舎道の凸凹の激しい砂道をスピードを出して走りましたし、Kafoulou村についてからも、畜産場に行くために沢山砂が溜まった獣道のような場所を通りました。バイクから落ちまいとしがみついていましたし、バイクが砂に巻き込まれて安定しない場面もありいつか横転するのではないかとヒヤヒヤする体験をしました。

 生まれて初めて搾乳体験をしました。搾乳するときはまずお母さんの子供の牛の綱を解き、お母さんの乳からミルクを飲ませてあげ、しばらくした後に搾乳を開始します。お兄さんの搾乳の方法を見様見真似でやりましたが全くできませんでした。あまりにも下手だったのか、始終お母さん牛からしっぽで叩かれていました笑 ただ摘んでもミルクは出てこなかったので、ホールドするように絞ったら5回に1回くらいはミルクが出てきましたが、全く感覚がつかめませんでした。

 搾乳の後は、採れたての牛乳でカフェオレを作ってくださり、朝ごはん(といってもこの時点で13時半です)のチョコレートクリームの挟んだフランスパンと一緒に頂きました。とれたての牛乳は実はあまり美味しいとは感じませんでした。今まで飲んだことがないほど独特の強さがあり(密度がある?)、飲むのが大変でした。おそらく、生きたお母さんの牛からの採れたてミルクはとてもエネルギーがあり、あまりにも新鮮で免疫がなかったのかもしれません。普段飲んでいる牛乳と全く違い驚きましたし、子牛と同じものを飲んでるなんで不思議な感覚でした。贅沢な体験をありがとうございました。

搾乳スペース。ここには500頭中お母さん牛とその子供だけがいます。

搾乳体験。一生しっぽで叩かれていました笑

採れたての牛乳でカフェオレ

お世話になったお兄さんとその同業者の皆さま。

 

セネガル日記_SEDHIOU_2日目(午後)_1105

<Tindaba村(セジュウ)>

 悪魔の島に行った後は友達の昔のご近所さんに会いに30分ほどかけてTindaba村までバイクを走らせました。途中の道中では、セネガルのサッカーの有名選手だったサディオ・マネ選手の家見たり、この地方の稲作の様子を見ました。今の時期がちょうど刈り入れの時期だったようで、黄金色の稲を収穫する体験をさせてもらいました。セジュウにきてお米を収穫して、そのお米を使った料理が食べれるのはとても素敵なことですよね。とても元気の素となったと思います! 

 Tindaba村の彼の友達の家に到着してすぐに、体力の限界がきてベッドで休ませてもらいました。セネガル人はお客さんがきた時は自分のベッドを嫌な素振りを一歳見せずに貸してくれるので、申し訳ないと思いながらも断ると逆に失礼になるので、そのベッドで暫く休みました。この日は朝の6時に起きて、それからノンストップで日本の数倍も日差しが強い屋外の活動をしていたので、体力の限界がきてしまいました。セネガルでは日本にいた時よりもすぐに疲れてしまいます。1時間ほどして、目が覚めると昼ごはんを用意してくれていました。そして、昼食後にアタヤというセネガルのお茶を頂きました。ここでは1時間ほどで目が覚めましたが、セネガルの人は休んでいる人を起こしたりしないのでうっかりすると夜になってしまいます笑 

 食後はマンゴーの森を抜けて、GoogleMapsに載っていないカザマンス川に浮かぶ「Tinadabaの頭」という島に行きました。陸地から少し離れていて、ワンピースをたくし上げて進みました。その島では自然に実っていたネムの実を収穫して食べたり、とても小さい島なので島を一周して楽しみました。島は広大な川の中にポツンと立っていて、不思議な感覚でした。ここのご家族には短い間でしたが本当にお世話になりました。

Tinadaba村に行くまでの道中で稲作体験をしました。

お昼ご飯

村の牛遣いの子供たち。写真に喜んで映ってくれました。

「Tindabaの頭」という島には歩いていきます。奥に見える島がそうです。

島で採れたネムの実。甘酸っぱくておいしかったです。

村のシンボルツリー。

 

<Bambali村(セジュウ)サディオ・マネ選手の実家>

 Bambali村はセネガルの有名なサッカー選手、サディオ・マネ選手が生まれた場所です(サディオ・マネ - Wikipedia)。その場所を通った時にダメもとで家の写真を撮らせていただけないかその家のガーディアンさんに聞いたら、家の方と話してくれて家に入ることができました。一階建てで井戸の水で生活している世帯が多いセジュウの田舎にこんな豪邸があるのがさすがだなと思いました。ちなみにこの家から斜め向かいにあるガソリンスタンドはマネ選手の所有物だそうです。

額縁が沢山並んでいるゲストルームを見学させていただきました。

田舎では、この豪華な建物は一層目を引きます。

 

<Auberge Ben to ban>

 Auberge Ben to ban(Google マップ)はセジュウ州の1番の高級リゾートです。そこからプライベートのカザマンス川を一望できる場所でジュースを飲みながら景色を楽しみました。友達がサプライズで夕日が沈む頃にその場所に連れて行ってくれましたが、時間がゆっくりと流れている場所で、いつか泊まってみたいと思いました。ただ、自分の車を持っていないと行きにくい場所にあるのが難点です。

プールサイドからカザマンス川を一望できます。

川に降りることもでき、その景色を独り占めできます!

 

<帰宅後>

 帰宅後18時半にその家の昼食で取り置きしてくださったチェブジェンを食べ、その後夕食の準備を手伝いました。夜は庭で採れたモリンガ(ネバダイ)のソースとクスクスを食べました!日本にいる時にモリンガはとても栄養素が豊富だからと、家族がインドからモリンガ茶を取り寄せたことがありますが、実際にその木を見ることができて少し感動しました。インドと気候が違うのに同じ木が生息しているのが不思議です。この家ではモリンガの他にも、庭で採れたもので料理することが多く、羨ましいと感じました。

 ご飯の後はセネガル相撲(ランブ)の様子を家族全員で観戦しました。その試合がセネガルチャンピョンのピキン(ダカール)出身のAma Baldeさんと、彼に挑むコルダ州出身(セジュウ州の隣)のModou Loさんとのチャンピョンをかけた戦いだったのでとても盛り上がっていました。日本の相撲よりも移動範囲が広い円の中で、肉体をぶつけあつ競技でしたが、画面越しからもとても迫力がありました。

 その後に近所の人たちと23時半くらいまでしゃべり、疲れがMaxになったためベッドに引き返してきました。今日は本当に密な時間を過ごしました。明日も忙しくなりそうです。おやすみなさい。

昼ごはん(毎回親切に取り置いてくれます。そのため、1日4食食べています笑)

モリンガソースのクスクス。お腹に優しい味でした。

家族全員でセネガル相撲を観戦した時の様子。

 

セネガル日記_SEDHIOU_2日目(午前)_1105

 セジュウに訪れる前の勝手な想像で、セジュウはまだ観光地化されていないので正直長い時間を家でゆっくりと過ごして、気が向いたら近所を観光する感じなんだろうなと思っていました。しかし、この旅は友達がスケジュールを密に立ててくれていたようで、休む暇もないほど新しい経験ができる時間となりました笑 

 

<セジュウで家事体験!>

 前日20時頃にセジュウに到着して、24時過ぎに就寝しました。そして、2日目はなんと6時に起床しました!友達が前日に「ここの人の暮らしを知るには、お母さんに家事を教えてもらうのがいいと思うよ。だから、明日は6時に起きて箒で庭を掃除して、井戸で水を汲んで、身体を洗って、朝食を作って、その後にセジュウの観光に出かけよう!」と信じられない提案してくれたので、「いつものホームスティだと10時起床なのに、休む暇がないな。」と思いながらも、せっかくだし全部体験したいと思って6時にアラームを設定しました。翌日の6時、まだ日が昇っておらず星が綺麗な時間帯に起きて、お母さんを暫く待って、お母さんがやってきてからまず家の前のスペース、その次に家の庭を箒で掃きました。お庭のほとんどのエリアがサラサラした砂地で、その砂に紛れて投げ捨てられたゴミ、食事中に溢れた食べかす、そして落ち葉などが混ざっているので、そういったゴミを1箇所にまとめていき取り除きます。この作業は砂がとても重たいので相当力が入りますし、加えてかなり広いスペースをする必要があって、日本でも庭の掃き掃除を定期的にして箒には慣れていたはずですが、朝から本当に疲れてしまいました。この作業を休むことなく毎日しているお母さんが本当にすごいなと感じました。眠気と戦いながら、1時間半ほど掃き掃除をして、次に洗濯物や身体を洗うための水を井戸から汲む作業に移りました。生まれて初めて、生活水を井戸から汲んで生活する光景を目にしました。資料として残っていた昔の人が井戸で水を組む絵や映像を見て井戸水はあまり衛生的でないと思っていましたが、実際はそうではなかったので不思議でした。井戸から水を汲むことは決して先進的とは言いませんが、その状況で当たり前に生活している人がいるし、水を不衛生と感じないし、自分もその体験をして(数日なら?)この生活がそこまで不便ではないと感じてしまいました。井戸は覗き込むと本当に深かったです。朝食は「ニィヤベ」というビーナッツ豆をを湯掻いて、後から玉ねぎとMAGGI(マジ)のソースを加えて煮込んだソースを作り、フランスパンとカフェオレと一緒に食べました。新しいセネガル料理を知ることができてよかったです!

とても深い井戸

朝食作り

ニィヤベ

 

<バイクに乗ってセジュウ観光>

 セジュウにはタクシーが少ないので、バイクで観光しようということになりました。生まれて初めてのバイクで、どうやって乗ればいいか分からないし、友達はスピードをすごく出すし、体制を変えると落ちそうになるし、とにかく初めの30分は怖くて仕方がありませんでした。しばらくして、馬に乗る時と同じ体制でいれば安定することや、段差がある時は後に体重をかけると跳ねないなどのコツが分かってきたので、徐々に楽しくなりました。

KoussyからSedhiouまでの途中の風景

<Fort Pinet Lqprqdeピネ・ラプラード要塞)>

 ユネスコ世界遺産に登録され、その象徴性はいまだ健在、セディウ最大の歴史的資産のひとつです。その名は、1822年にサン・ルイで生まれ、1869年にコレラで亡くなった元フランス総督エミール・ピネ・ラプラードに由来しています。セディウの中心部にあるこの砦は、マンデン族とバンバラ族に対する何度かの遠征の後に建設され、フランスは1836年に建設を決定しました(1844年終了)。この砦は、フランスがカザマンス上部に進出する際の拠点として機能し、植民地時代には、物資の保管や輸送の場所としても使われたそうです。また、地元の村長同士の部族間抗争の際には、避難場所としても使われました。今では、図書館のような機能を果たしていますが、もはや訪れる人もない文化的・知的空間となっているそうです。詳しくはこちらをご覧ください(SUR LES RUINES DU FORT PINET LAPRADE | SenePlus)。

 ちなみにこの「ピネ・ラプラード」さんは無実のセネガル人を大量に殺害した人物として、歴史を知るセネガル人からはとても批判されている人です。


<L'île du Diable(悪魔の島)>

 この島はセジュウの町にそって流れているカサマンス川の真ん中にある島です。地図には載っていない島ですが、地元の人たちの間では有名な島で、2世紀ほど前にはこの島は悪魔が住む島として恐れられていましたが、今ではヨーロッパの方向けの観光地となっているそうです。Bac de Sedhiouというセジュウの船着場から船を持っている人と交渉して船に乗せてもらいます。この時は1万cfa(2500円)でボートを貸し切りにして1時間と少しほどかけて島の周りを船で回ったり、島に上陸したりしました。40種類ほどの木が生息している島です。

小さい島に見えますが、とても大きいです!

セジュウの港。手前の船で島まで行きました。